寺田寅彦の地球観
       

                                      西村寿雄

  ドイツのアルフレッド・ウェーゲナーが「大陸移動説」を発表したのが1912年,
その後も研究を積み重ね,1929年には『大陸と海洋の起源』第4版まで出した。
しかし,このウェーゲナーの「大陸移動説」は,一部の科学者をのぞき多くの地
質学者から反対され続けた。そして,つまるところ〈大陸を水平に動かすエネル
ギーの出所〉が十分に検証できなくて無念な思いのままウェーゲナーはグリーン
ランドの氷上で帰らぬ人となってしまった(1930年)。そして,ウェーゲナーの死後
「大陸移動説」は世界の科学者からは忘れ去られていくしかなかった。
 それが,1960年頃からまったく新たな観測事実(岩石磁気・海洋底拡大等)が
次々と明るみに出て,ウェーゲナーの「大陸移動説」が正しかったことが証明され
出した。今日では地球内部の動きまで見通せるようになり,〈大陸を水平に動か
すエネルギーの出所〉まで見通せる地球科学観が生まれている。「大陸移動説」
もやっと一つの「真理」にたどりついた観がある。
 さて,このウェーゲナーの「大陸移動説」は,1920年当時,日本ではどのように
伝えられていたのだろうか。当時の日本では,まだ地質学会は組織されておらず,
主に地球物理学者,地理学者によって「大陸移動説」は伝えられていた。「大陸
移動説」に関する当時の著書・論文は十数点残っている(3ページに紹介)。
 これらの中の多くは,ウェーゲナーの「大陸移動説」の邦訳や紹介であるが,寺
田寅彦を初め何人もが「大陸移動説」に賛成の意見を述べている。特に寺田寅
彦は,独自の地球物理学的な解釈から「大陸移動説」に理論的な裏付けをしてい
た。寺田寅彦自身がちょうど1909年からドイツに留学していたこともあって,ウェー
ゲナーの理論を一番解していたこともあると思われる。
 ウェーゲナーがドイツ地質学会で「大陸移動説」を初めて発表した同じ年(1912年)
に,寺田寅彦は日本の天文学会例会で「地球内部の構造について」と題して講演
をしている。この中で寅彦は,大陸地殻が海洋地殻の上に 「浮いている」(アイソス
タシー)ことを指摘している。ウェーゲナーの「大陸移動説」を思わせる論文である。
 ウェーゲナーは主に,大陸間の地質学的,生物学的,古生物学的,気象学的(氷
河)事象を専門書から拾い出し,海を隔てた大陸間にも深いつながりのあることを列
挙していたのに対して,寺田寅彦はアイソスタシーや島弧の形など地球物理学的観
点から大陸移動の可能性について論じていた。
 
 しかし,寺田寅彦の論文も他と同様,一般に読める論文で残ってる書物は比較的
長文なものでも7500字ほどの文章である。主なものは
  「大陸と大洋の成り立ち」1923(『ローマ字世界』)でA5,11p(7500字)
  「ウェーゲナーの大陸移動説」(日本天文学会における講演)A5,7p
        (以上は『寺田寅彦全集』岩波書店に収録されている)
で,これらは論文というより大衆向きの解説書である。当時の理論物理学者のこと
だし,他に論文などがないのか調べたが2005年当時の私では見つけることはできな
かった。
 私は,戦後に市販された「大陸移動説」に関する日本語の本は可能な限り目を通し
たが,それらのいずれにも寺田寅彦の論文引用は目にしなかった。寺田寅彦は,随
筆や文学も多く書いているし大衆と科学を志向する人だったし,あまり固い論文は書
かなかったのではないかと,私は考えていた。ウェーゲナーが「大陸移動説」を唱え
ている頃,どうして寺田寅彦はもっときちんとした論文で世界に「寺田説」を発信しな
かったのだろうか,「おしいな」と感じていたほどだった。
 私は,ここ数年「大陸移動説」についての研究はひとまず休憩していたが,数年前
から,地学団体研究会の機関誌『地球科学』にちょっと気になる論文が掲載されるよ
うになった。
 鈴木堯士「寺田寅彦と地球科学―時代を先取りした地球観の確立―05,01   
 鈴木堯士「寺田寅彦と地球科学(2)-土佐湾での動く海底の研究から-06,03
 鈴木論文には驚くべきことが書かれていた。鈴木論文によると,寺田寅彦は「大陸
移動説」のみならず「プレートテクトニクス論」に至るまで,日本列島を舞台にしてまさ
に現代の地球科学に匹敵するような論理を欧文論文で展開していた。鈴木さんの記
述を読むと,ウェーゲナーの「大陸移動説」の先を寅彦が論じていた観がある。
 鈴木堯士(たかし)さんは,高知大学で活躍されていた地球物理学者で,早くから寺
田寅彦の業績に目を付けられ寺田寅彦の欧文の原著論文を解析されていた。近年,
寺田寅彦の先見的な「地球観」を,鈴木さんは「高知新聞」などで明らかにされていた。
寺田寅彦は欧文で地球科学に関する論文をかなり発表していたのだった。
 そのほか小林惟司さん(経済評論家)
も,寺田寅彦の地球観を調べられていた。小
林さんは特に寺田寅彦の地震研究に目を付けられていた。
 著書『寺田寅彦と地震予知』(東京図書) 2003
を出版されている。


  鈴木氏やや小林氏の著書から察するに寺田寅彦も,寅彦の独特の学説にまわり
の学者がついていけず,半ば無視されていた観もあるらしい。
 しかし,寅彦は英文の論文を多数残していた。そこに寅彦の地球観が垣間見られる。
ウェーゲナーの論理より一歩踏み込んだプレート論を展開していた。
 なお,寅彦の論文は下記まとめられている。

    「Scientific Papers by Torahiko Terada」 Iwanami Syoten 1936
      Vol T-Vol Y (Dec.1936-May.1939)

 今後,私なりに原著論文に目を通して,寅彦の地球観にせまってみたい。
                    
                                         2008,07,23


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